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大人になってもおやつをやめられないのはなぜ?

それは子供のころとは違う理由があるから。


おやつを食べる前、私たちはいろんなルーティーンをこなしています。


たとえ休日でもやることは盛りだくさん。

掃除や洗濯、食事の用意、愛するもののお世話など。


そして、やれやれ一息つきましょうというときに、おやつを愉しみたくなる。


つまり大人にとっておやつはご褒美なのです。


今日もがんばった自分にお疲れさまと言ってあげたい。

そんなひとときに寄り添えるやさしいおやつでありたいと思います。

欲望とは希望であると思います。

なぜなら欲望の中にこそ希望が見つかるから。


「好きなものを食べても一生太らず健康でいたい」という欲望の中には
「健康をコントロールできたら」という希望があります。


好きなものを我慢せずに楽しく食べながら
一生太らず健康でいるためには、工夫が必要です。

そのためにはちょっとだけ考え方をチェンジすればいいのです。

今までのようにあれもこれも食べたいのではなく、
おいしくて体に優しいものを少しだけ食べて満足感を得る。

どうすれば自分が喜ぶのか十分知ってる大人だからこそできる
「サスティナブル(人間・社会・地球環境の持続可能な発展)」な工夫です。
そしてその工夫の先には希望があります。


好きなものを愉しみながら人生を謳歌するあなたを応援したい。
あなたの希望の一助として「そいらぼ」はあります。

幸せな人とは、大きな幸運の中で生きている人ではなく、
日々の生活の中で小さくても確かな楽しみがある人。

これは村上春樹さんのエッセイの中に出てくる
「小確幸(しょうかっこう)」という考え方です。

「小さくささやかだけど確かな幸せ」
という意味で、例えば村上さんは今日はよい文章が書けたなあという日の午後に、
おいしいドーナツを頬張るときとか、この「小確幸」を感じるのだそうです。

私もこの言葉を知って以来、常々「小確幸」を意識して生きてきました。

そしてケーキ屋を始めてからは、
どうしたらお客様に「小確幸」を感じてもらえるだろう。

お客様に確実に「小確幸」をお届けすることができるケーキ屋になりたい。

と思いつつ精進してまいりました。

そんな中、年を重ねていくにつれ最近楽しみが減ってきたなあと感じることが多くなってきました。

なぜなら私にとって食べることは最大の喜びなのですが、
健康のことを考えると今までのように無防備ではいらなくなってきたからです。

健康診断の数値は気になりますが、
かといって食べる楽しみが奪われたら生きるモチベーションまで半減してしまいそうです。

どうやったら食べる楽しみと健康を両立させ末永く「小確幸」を味わうことができるのか。

私は作戦を立てることにしました。

今までのようにあれも食べたいこれも食べたいではなく、
おいしくて体に優しいものを少しだけ食べて「サスティナブル」な満足感を得る。

どうすれば自分が喜ぶのか十分知ってる成熟した大人だからこそ、
たくさんの商品の中から体に負担がなくかつおいしいものを選ぶことができます。

そして健康をコントロールしながら「小確幸」をこれからも味わう。
それが大人の醍醐味な気がする今日この頃です。


子供の頃の私からしたら母は犬に関してどうかしてる人でした。

当時うちには常に2,3匹の柴犬がいました。
母の兄が趣味で柴犬のブリーダーをして飼いきれなくなった犬をうちでめんどうをみていたのです。

だから幼少期の私も犬が大好きでした。

1つ目のトラウマは幼稚園の時。
近所の放し飼いにしていた大型犬に追いかけられたのです。

泣きながら逃げ回る私をみて友達が母を呼びに行きました。
連れてこられた母は助けもせずただゲラゲラ笑って見ていました。

よくよく思い返せば子供にとっては大型犬でも実際は中型犬くらいで、
威嚇して追いかけているというよりただ遊びたがっていただけなのかもしれません。

その状況を母も見てわかっていたのかも。
でもその時はかなりのショックで私はそれ以来吠え声にびくっとなってしまうようになりました。
(「わん!」と吠えられて車にはねられそうになったことが何回もあります)

2つ目のトラウマは母の両親(私にとっての祖父母)が亡くなった時こと。
母は涙ぐんではいましたが高齢だったこともあって落ち着いている印象でした。
それに引き換え愛犬が亡くなった時の母は感情が抑えられないといった感じで
人目もはばからず号泣していたのです。

そんな母の姿を見ていて(人が犬に負けている…)とぼんやり思ったものです。

3つ目のトラウマはうちの冷蔵庫にはよくお湯でふやかしたドックフードが入っていたことです。

犬も年をとってくると歯も弱るし夏場は特に冷やしてやるとよく食べると言っていました。

私は冷蔵庫が臭くなるからやめてほしかったけど何回言っても聞き入れてもらえなかった。

そういえば母はまだドックフードが一般的でない、犬の餌と言えばごはんに味噌汁の時代も、
必ず味見してからあげていました。今思えば塩分を気にしていたのかなと思います。


今回低糖質シフォンを開発してそれを通販で販売しようとしていた時、
たまたまドッグオーラルケアのお仕事をされている方とお話しする機会がありました。
シフォンの成分を説明していたらその方がふと「それ犬でも食べられるよ」とおっしゃったのです。
その瞬間、私の脳裏にはかつてまだ世に出たばかりだった犬用ビスケットを味見する母の姿が浮かび上がってきたのです。

母が亡くなって2年がたち、思い返してみれば母にとって犬は等しく家族だったのかなと思います。

私は常に母は人より犬が大事なんだ…と思って育ってきました。

でも母の中で家族に優劣はなかったのかも。

母は料理が得意な人で家族のためにいつもおいしいご飯を作ってくれていました。

それと同様の気持ちで責任をもって愛犬にもご飯も用意していたのかなと思います。

今母が生きていて犬と一緒に食べられるシフォンのことを伝えたらたぶん喜んでくれただろうと思います。

「犬と一緒に食べられるおやつなんていい時代になったね」と言って味見してくれるかな?